京都地方裁判所 昭和40年(た)1号 決定 1971年11月09日
主文
本件について再審を開始する。
理由
(再審の請求の趣旨および理由)
本件再審の請求の趣旨および理由は、弁護人田中福一作成の再審の申立書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
その要旨とするところは、請求者は、昭和三八年一二月二八日京都地方裁判所において、特別背任、有価証券偽造、偽造有価証券行使の罪により有罪判決の言渡を受け、同判決は同四〇年一月二六日に確定した。しかるに、右判決確定後、請求者を診察した精神医学者宇佐晋一作成の別紙診断書によれば、請求者は作為体験と憑依妄想を主症状とする妄想型の精神分裂病者であることが明らかであり、請求者が本件犯行当時既に奇行を重ねていた事実に鑑みると、請求者は、右犯行当時においても精神分裂病者として、心神喪失もしくは心神耗弱の状態にあつたものと推定されるので、さらに、その精神状態について鑑定を求める。以上は、刑事訴訟法第四三五条第六号にいわゆる「有罪の言渡を受けた者に対して無罪を言い渡し、又は原判決において認めた罪より軽い罪を認めるべき明らかな証拠をあらたに発見したとき」に該当する事由であるから、ここに再審開始の決定を求めるというにある。
(当裁判所の判断)
第一本件再審の請求の適否について
本件再審の請求は、請求者の選任した弁護士である弁護人田中福一が、その弁護人の名においてなしたものであること、その選任の趣旨が本件再審の請求をする事件の弁護人とするものであるものであることは、本件記録に徴して明らかである。
ところで、弁護人による再審の請求が、明文のないかぎり、一般的には訴訟行為の代理を許さないものと解されている刑事訴訟法上、果して適法な代理行為として容認されるか否かについては、旧法以来学説の分かれるところであり、判例もまた動揺を示しているもののようである。だが、(1)再審の請求が、訴訟行為中いわゆる手続形成行為の範疇に属し、その性質上代理に親しまないものではないこと、(2)刑事訴訟法第四四〇条第一項は「再審の請求をする場合には、弁護人を選任することができる」旨規定し、「再審の請求をした場合」とは規定していないので、その文理上弁護人を代理人として再審の請求をなしうることが当然に包含されているものと解しても不合理ではないこと、(3)刑事訴訟規則第二八三条は、再審の請求をする場合の手続を規定し、その趣旨からは、弁護士である弁護人による専門的知識と経験が多く必要とされているものと認められること、(4)新憲法下においては、弁護人の地位が重視され、その代理行為の範囲も広く認められるに至つていること等の諸点に鑑みると、弁護人、特に弁護士である弁護人は、請求者を代理して再審の請求をなすことができるものと解すべきである。
そうだとすると、請求者が、弁護士田中福一を前記趣旨のもとに弁護人として選任し、同人がその弁護人の名においてなした本件再審の請求は、請求者の代理人による適法なものと認めるのが相当である。
なお、請求者の前記弁護人の選任は、心神喪失者の行為と認められ無効を来たすのではないかとの疑問を残す余地がないものでもない。しかし、本件再審の請求後における昭和四〇年三月一七日、右の疑点をおもんばかつた請求者の妻服部晴枝が、本件再審の請求に関して、請求者のため弁護士田中福一をあらためて弁護人に選任したことが認められるので、たとえ、請求者が弁護人選任当時心神喪失の状態にあつて、その選任能力を欠如していたとしても、妻晴枝の弁護人選任による補正的な追完によつて、請求者の前記選任行為はその瑕疵が治癒されるに至つたものと解すべきであるから、いずれにしても、弁護人田中福一が請求者を代理してなした本件再審の請求の適法性には、なんら影響を及ぼさないものといわなければならない。
第二有罪の確定裁判の存在
請求者は、昭和三八年一二月二八日京都地方裁判所において、特別背任、有価証券偽造、偽造有価証券行使の罪により懲役一年に処する旨の判決の言渡を受けたが、その後、同三九年七月一三日大阪高等裁判所において、控訴を棄却する旨の判決の言渡を受け、さらに、同四〇年一月二六日最高裁判所において、上告を棄却する旨の決定を受け、前記有罪の第一審(以下原第一審と略称する)判決は確定したことが一件記録によつて明らかである。
第三刑事訴訟法第四三五条第六号による事由について
(一) 本件再審の請求は、刑事訴訟法第四三五条第六号を根拠とするものであるが、同号は、有罪の言渡を受けた者に対して無罪等を言い渡し、または原判決において認めた罪より軽い罪を認めるべき「明らかな証拠」を「あらたに発見したとき」と規定し、これらを同号による再審事由の要件としている。右の要件中、「明らかな証拠」とは証拠の明白性の問題として、「あらたに発見したとき」とは証拠の新規性の問題として相互に関連性をもたせながら、その存否が決せられるべきものであり、かつ、その要件の一つを欠くことも許されないものと解すべきである。
しかして、弁護人の主張するもののうち、心神喪失者の行為として罰せられない場合とは、まさしく同号前段にいわゆる「無罪を言い渡すべき」ときに当たるものと解すべきであるが、他の、心神耗弱者の行為としてその刑を減軽する場合とは、それが、刑法第三九条第二項の規定によつて明らかなように、認定した罪の刑それ自体を減軽する趣旨にほかならないのであつて、法定刑の軽い他の罪を認定することとはその意味を異にするのであるから、同号後段にいわゆる「原判決において認めた罪より軽い罪を認めるべき」ときには当たらないものといわなければらならない。
以下前記二要件を、本件に即して略述すればつぎのとおりである。
(1) 「明らかな証拠」とは、確定判決を破毀するに足りる高度の可能性が認められる証拠を意味するものと解すべきである。
そして、右の意味における証拠は、刑事訴訟法上証拠能力(相手方の同意によつてはじめて付与されるものを含む)を有するものであることを要し、また、その証拠価値は、原判決の基礎となつた事実認定に影響を及ぼすことが明らかな程度に、高度の信憑性を帯びたものであることを要するものといわなければならない。このように高度の信憑性が要求されるのは、再審の制度が、実体的真実発見のためとはいえ、確定判決によつて一旦確立した法的安定性を犠牲にしようとする非常救済手続とされているからである。しかも、右にいう明らかな証拠であるか否か(以下便宜明白性と略称する)の判断は、確定判決の基礎となつた全証拠と対比して総合的にこれをなすべきであつて、既存の証拠ときり離して評価すべきものではない。
(2) 証拠を「あらたに発見したとき」とは、その証拠が、原判決の宣告以前から存続するものと、宣告後に存在するに至つたものとを問わず、その発見が「あらた」である(以下便宜新規性と略称する)ことを意味するものと解すべきである。
そして、右にいう「あらたに」といいうるためには、その証拠の証拠方法としての存在、証拠の内容および価値などと、これに対する裁判所または再審の請求者の認識予見との相関関係において、裁判所にとつてあらたであるばかりでなく、再審の請求者にとつてもまた、あらたに発見されたものと称しうるものでなければならない。されば、再審の請求者が原訴訟手続の過程において、その証拠方法、証拠内容等に照らし、これを提出することにつき法律上または事実上なんらの障害もなかつたと認められる証拠を、その内容等を認識予見しながら敢て提出しなかつた場合には、これをあらたな証拠として再審の用に供することは原則として許されない。
また、原審において、証拠調請求がなされたにもかかわらず、実際上取り調べられなかつた証拠については、裁判所において、当該証拠の証拠方法としての存在のみならず、その証拠資料としての内容も一応予測したうえ、これを取り調べなかつたことが認められる以上、これを「あらたな証拠」に当たるものとして援用することはできないが、原判決確定後明らかにされた当該証拠の内容が、原審における証拠調手続の段階で、これを取り調べなかつた裁判所にとつて予測できなかつたものであると認められるときは、再審の請求者においてその内容を認識予見していたか否かにかかわらず、その証拠をあらたに発見したものと称して妨げないと解すべきである。
(二) 当裁判所は、本件再審の請求の証拠として提出した医師宇佐晋一作成の診断書を取り調べたほか、右宇佐晋一を証人として尋問し、さらに、医師堺俊明、同飯塚礼二おたび同岡本重一を、請求者の本件犯行当時等における精神状態につき鑑定人として尋問し、かつ、各鑑定人の作成にかかる鑑定書を取り調べた。以下、前記各証拠について検討する。
(三) 鑑定人堺俊明の鑑定書(以下堺鑑定書と略称する。)は、精神科専門の医師で大阪医科大学の助手をしている堺俊明が、昭和四〇年六月ころから同四三年六月ころまでの間に、請求者の本件犯行当時および鑑定時における精神状態について鑑定した結果を記載したものであつて、その内容は、「甲(注・請求人)は、昭和三三年一二月下旬以降同三四年五月下旬までの間(犯行時)に、誇大妄想、その他宗教的な病的体験を有し、これに基づく異常行動が活発で、それに従つて行動しており、診断学的にはパラフレニー(広義の分裂病に属する)に相当し、したがつて、同人の本件犯行時における精神状態は、いわゆる弁識能力、または弁識に従つて行動する能力を失つていた場合に該当する。また、同人の鑑定時における精神状態は、未だ種々の宗教的な病的体験を有し、犯行時に見られた誇大妄想、その他の宗教体験から若干疎隔化しつつあるが、それらに対する批判力は今一つ不充分、皮相的なもので、本件犯行時の精神状態と本質的に変つていない。」という趣旨のものである。
鑑定人飯塚礼二作成の鑑定書(以下飯塚鑑定書と略称する。)は、精神神経科専門の医師で京都府立医科大学の教授をしている飯塚礼二が、昭和四四年七月ころから同年一二月ころまでの間に、請求者の本件犯行当時における精神状態について鑑定した結果を記載したものであつて、その内容は、「甲は、昭和三三年一二月下旬から同三四年五月ころに至る犯行の期間においては、極めて特異な宗教的体験を有しており、これは病的なものと考えるべきである。また、その他これに基づいて特殊の誇大妄想、憑依妄想ともいうべきで異常な意味づけが数多く行なわれている。ただし、同人は幻聴その他異常体験はもたず、診断学的には、遺伝要素を考えるとき、いわゆるパラフレニーに最も近いものと考えられるが、同人ならびにその周囲にある原始的な宗教形態を有する多くの祈祷師との相関的な関係などを考え合わすときに、必ずしも、この診断と断定せず、なお、狂信的原始宗教と狭義の異常精神状態、すなわち真性妄想との限界点にある症例として、問題を残すものというべきである。しかしながら、同人のこれらの状態を異常と判断する以上、直接この信念から出発して行なつた同人の行動は、やはり病的な精神状態の故に、十分な判断を行ない、あるいはこれに従つて行動することが不可能の状況においてなされた行動と判断すべきものと考えられる。したがつて、同人のこれらの行為に関しては、それが直接に病的信念に発想している以上、責任能力は阻却されるものと考える」という趣旨のものである。
鑑定人岡本重一作成の鑑定書(以下岡本鑑定書と略称する。)は、精神科専門の医師で関西医科大学精神医学教室に所属する岡本重一が、昭和四五年九月ころから同四六年四月ころまでの間に、請求者の本件犯行当時における精神状態について鑑定した結果を記載したものであつて、その内容は、「本件犯行当時(昭和三三年一二月下旬ころから同三四年五月下旬ころまで)甲は妄想型精神分裂病の状態にあつたことが明らかである。これを詳述すれば、同人は、憑依妄想を中心とする妄想(一部には誇大妄想、替玉妄想、被害妄想等もみられる。)が顕著で、同時に、著明な人格障害、これと関連した自主観念ないし作為思考、自力症ないし作為現象が明確である。右にいう憑依妄想とは、狐狸あるいは種々の神がとり憑いているという妄想で、同人の場合背後霊と称している先祖の霊や三穂津姫が主たるものである。それは、単に憑いているだけでなく、しばしば三穂津姫自体に転移し(替玉妄想)憑依状態に発展している。自主観念ないし作為思考と絡みあつて(同人のいう神示)、二兆円の産金、出雲銀行設立、国土開拓、国土経営等の如き誇大妄想を抱き、悪霊の邪魔によつて事業が一時的に挫折している等の如き被害妄想も出現している。また、人格障害としては、同人は本来の自己以外に、背後に憑いている背後霊との二面があり(人格の分裂あるいは二重化と呼ばれる現象)、三穂津姫に奉仕する者から三穂津姫自体えというような人格の転移もしばしばみられる。このような意識のあり方にみられる矛盾は自覚されない。その背景には、ホクロの模様から三穂津姫自体への思考発展過程にみられる如き分裂病性思考(非現実的、非論理的思考)が絡んでいる。のみならず、他方では出雲大神宮権宮司と保津川遊船常務取締役との当然区別されるべき現実世界での二つの役職が融合している(分裂病性思考の特徴)。しかも、その間、同人は人格として自己と三穂津姫の間を往き来して、自己の脳裡に偶然台頭する自主観念ないし作為思考を神示として受け取り、神の命令において行動したと意識している。はなはだしい場合には、彼自身神(主として三穂津姫)として行動していたわけである。以上要するに、同人は本件犯行当時、妄想型の精神分裂病と診断すべき精神状態に陥つていた。しかして、本件犯行は、右症の妄想(病的思考)に基づく分裂病的な行動に属し、精神分裂病の一示顕というべきもので、その際、同人は是非善悪の弁識能力、またはその弁識能力、またはその弁識に従つて行動する能力を失つていた」という趣旨のものである。
(1) 各鑑定書の新規性について
原審訴訟記録によれば、原第一審裁判所において取り調べられた証拠<略>を総合すると、請求者の本件犯行の動機、本件犯行に至る生活歴および犯行前後における言動、その中でも、請求者が、心霊研究家安井一陽より、自分の右膝開節にある黒子に特別の意味がある旨指摘されたことから、自分が神の現身として、出雲大神宮の神意を顕現、顕彰しなければならない宿命にあり、これを実行することが、勤務先の会社や地方、ひいては国家の発展にもつながるものであるとの特異な信念(妄想)を抱くに至り、この信念に基づいて、廃鉱同然の大湧金山の開発にかなりの資金をつぎ込むなど数々の奇行を重ねてきた事実が認められ、これらの事実に徴すれば、請求者が、本件犯行当時、多少とも精神的に異常を来たしていて、その故に、本件犯行を重ねたのではないかとの疑問が残ることはこれを否定し去るわけにいかない。そして、請求者の弁護人は、昭和三五年九月二四日付書面により、請求者の本件犯行当時等における精神状態について、鑑定の請求をしたのであるが、原第一審裁判所は、結審に近づいた同三七年一一月三〇日の第一六回公判期日において、右請求を却下したため、原審訴訟手続の過程においては、請求者の本件犯行当時の精神状態について、鑑定人による鑑定の証拠調は全然なされていないことが明らかである。
しかして、原第一審裁判所が、前記のように弁護人からなされた鑑定の請求を却下するに至つたのは、右却下決定後の第二〇回公判期日において、弁護人が本件につき心神喪失はもちろん心神耗弱の主張すらしない旨を言明し、結局、請求者側からは、前記鑑定の請求があつたことを除いては、請求者が本件犯行当時心神喪失もしくは心神耗弱の状態にあつたものとの主張がなされなかつたこと等の経緯に照らして考察すると、原第一審裁判所において、請求者が本件犯行当時、心神喪失の状態など精神上の欠陥を招いていなかつたものと判断し、前記鑑定の必要を認めなかつたことによるものと推測されるのである。
ところが、原第一審判決の確定後、請求者は、前記診断書によつて明らかなように、医師宇佐晋一より精神分裂病であるとの診断を受けたことから、右診断書を有力な証拠として本件再審の請求をし、あらためて、鑑定人による精神鑑定を求めたので、当裁判所は、鑑定人による鑑定を実施した結果、前記のような内容を有する各鑑定書の作成をみ、これを取り調べるに至つたが、各鑑定書を原第一審の証拠に照らして検すると、右鑑定の結果は、いずれも、その鑑定の過程において収集された基礎資料の内容等についてみても窺いうるように、原第一審裁判所の予見された範囲を著しく超えているのではないかと推考されるのである。
されば、前記の各鑑定書は、証拠方法としての存在はともかく、証拠資料の内容としては、原第一審裁判所にとつていずれも予期しえなかつた鑑定の結果であると認めるのが相当であり、したがつて、各鑑定書は、請求者において、原第一審判決の確定前に前記のような鑑定結果が出ることを認識予見していたか否かにかかわりなく、いずれも証拠としての新規性をそなえているものというべきである。
(2) 各鑑定書の明白性について
(イ) 堺鑑定書の鑑定内容は、請求者の本件犯行当時における精神状態に関し、診断学的にはパラフレニー(広義の精神分裂病に属する。)に相当する状態にあつたとし、したがつて、いわゆる弁識能力を喪失した場合に該当すると極めて断定的な結論を下したものであり、飯塚鑑定書の鑑定内容は、右同様の精神状態に関し、狂信的原始宗教と真性妄想との限界点にある症例として問題を残すものというべきであると付言して、パラフレニーであつたとの断定的な結論こそ避けてはいるものの、診断学的にはパラフレニーに最も近いものと考えられ、その行動が直接に病的信念に発想している以上、責任能力は阻却されるものと判断すべきであるとの結論を打ち出している。
右各鑑定内容を比照するに、その診断学的な面における考察については、若干の相異がみられ程度の差はあるにしても、いずれもパラフレニーであるか、もしくは、これに最も近似した精神状態のもとにあつたものとみられた点では全く共通しており、また、責任能力の有無に関する結論においては、病的信念(妄想)に基づく行動であるかぎり、刑法にいわゆる心神喪失の状態にあつたものとされた点で、全く一致していることが認められる。
また、岡本鑑定書の鑑定内容は、さきに詳述したように、請求者の本件犯行当時における精神状態に関し、妄想型の精神分裂病と診断すべき精神状態に陥つていて、本件犯行は右症の妄想(病的思考)に基づく分裂病的な行動に属し、精神分裂病の一示顕というべきもので、その際は是非善悪の弁識能力を失われていたと、極めて断定的な診断を下していることが認められる。
(ロ) 当裁判所の取り調べた証拠によれば、鑑定人堺俊明は、精神科の専門医かつ大阪医科大学の助手であり、昭和二八年に医師の資格を取つて以来、精神科の研究、特にノイローゼ、精神病の臨床医学に従事してきたことが認められる。また、鑑定人飯塚礼二は、精神神経科の専門医かつ京都府立医科大学の教授であり、昭和二七年に医師となつてから、北海道大学医学部の助手、講師、助教授を経て、同四一年に京都府立医科大学に転職されたものであつて、現在までに約六〇回に及ぶ精神鑑定をした経験を持ち合わせていることが認められる。さらに、鑑定人岡本重一は、関西医科大学精神医学教室に所属する当五四年の精神科専門医であり、その経歴等から推して、豊富な精神鑑定の経験を有していることが窺い知れるのである。
そして、右のような各鑑定人の精神科の専門医としての経歴、その鑑定書によつて推測しうる鑑定の方法、鑑定書の作成過程およびその記載内容等に照らして勘案すると、各鑑定人は、いずれもこの種の鑑定に十分耐えうる資格、能力を具有しているものということができる。
(ハ) 各鑑定書とも、その鑑定に用いられた基礎資料は豊富に収集検討されていて、これらは、それぞれ鑑定書に詳細かつ具体的に逐一記載され、あるいは摘録されており、また、各鑑定の結論に至る過程に立ち入つて検討するに、鑑定書には、その大綱において相矛盾する点は見受けられず、いずれもその中で、請求者の性格には特に病的な所見はなく、知能は正常ないしそれ以上の域にあつて、なんら欠陥は認められないうえに、身体的な疾患もなんら存しないとされている一方、家族歴について、請求者は、特に母系を中心とする精神病者、精神病質者の多発する家系に生れていて、その遺伝的要素を受け継いでいる可能性が大きいとの推定を下し、さらに、請求者の生活歴や事業活動状況等についても、かなり詳細な観察と検討が加えられ、その他の資料をも参考にして、請求者が、誇大妄想、化身妄想、憑依妄想、意味体験などに基づいた言動をして、本件犯行を犯すに至つたものであることを精神医学的見地から指摘していることが認められる。
以上(イ)ないし(ハ)に認定した事実を総合して考察すると、各鑑定書の鑑定結果に対しては、いずれも、かなり高度の信頼性が認められる。因みに、堺鑑定書および飯塚鑑定書中に表われたパラフレニーは、広義の精神分裂病に属し、その中でも、特に分裂病に独自な一次妄想(患者のもつ感情状態から誘導されるのでもなく、心理的加工によるものでもなく、非合理な思考が忽然と浮かび上り、これを直観的に事実であると確信する体験)をもちながら、情意の面に障害が少なく、何一〇年という間、人格の荒廃を来たさない特徴をもつものとされているようである。
さようなわけで、以上の各鑑定書の記載と本件確定判決の基礎となつた全証拠とを総合して判断すると、請求者は、本件犯行当時、パラフレニー(広義の精神分裂病)またはこれに最も近似した精神状態にあつたものと認めるのが相当である。したがつて、各鑑定書は、本件犯行が、請求者の、事理を弁識しまたはその弁識に従つて行動する能力を欠いた状態、すなわち心神喪失の状態においてなされたものと認めうる資料として、さきに原第一審裁判所が、請求者に対して、責任能力を有することを前提として言い渡した有罪判決につき、その認定を覆すに足りる高度の蓋然性を保ち、いずれも証拠としての明白性の要件を具備しているものというべきである。
第四結論
以上考察したとおりであつて、鑑定人堺俊明、同飯塚礼二および同岡本重一の作成にかかる各鑑定書の存在は、いずれも刑事訴訟法第四三五条第六号にいわゆる「無罪を言い渡すべき明らかな証拠をあらたに発見したとき」に該当するものといわなければならない。
よつて、本件再審の請求は、その理由があるものと認められるので、爾余の証拠に対する判断を省略し、同法第四四八条第一項に則り、本件について再審を開始することとして、主文のとおり決定する(橋本盛三郎 田中明生 松本信弘)